なんだかここ数日、歴史の知識がクソお粗末なコラムが産経新聞に多発しているみたいな気がしてしまいます。昨日は江戸末期の黒船来航のお話がダメでしたが、今日は「【主張】出会い系サイト 軽々しさに危険がひそむ - MSN産経ニュース」で王朝時代の貴族の恋愛を引き合いに出して華麗に自爆しています……って、のんびりしてたら「産経「主張」、また被害者叩き。他。 - 黙然日記」で素早くツッコミが入ってしまいましたorz。気を取り直してこのコラムが時代考証の面でデタラメだという角度からツッコミを入れてみようと思います。
なお、あらかじめお断りしておきますと、当方は学生時代は歴史が嫌いでした(今でも「学校の歴史の授業」は嫌いです)。無味乾燥な有象無象を覚えなきゃいけない苦痛は耐えがたく、それから逃避したい一心で高校時代に「理系コース」を選択したくらいです。当然のことながら歴史の知識は至ってお粗末ですが、そんな俺ですらツッコミどころを見つけられる産経のコラムというのは一体どんな御仁が書いているやら。
それにしても昨今は、人と人の出会いがあまりにも軽々しいものになってしまったことに慨嘆を禁じ得ない。「会う」とはもちろん、人と人とが対面することだが、王朝時代には「男は女にあふ事をす…」(竹取物語)と示されるように、「男女が関係を結ぶ」「結婚する」の意もそなえていた。単に男女が対面するだけでなく、互いの愛を確かめ合うという実に重大な人間関係の上に成り立つ言葉だったのである。
情報伝達手段が発達し多様化した現代では、電話やネットによって人は互いに匿名で、生身の顔を見せ合うことなく、“仮面”をかぶったままでも「会う」ことが可能となった。初めて生身で会ったときには既に、相手を観察する用心深さも消えているから、まるで顔見知りであるかのような気安さを覚えたとしても、特に不思議な話ではなかろう。かつて流行したテレホンクラブも、そんな土壌に生えた毒草だった。
さて、王朝時代というのはWikipediaによると「奈良・平安時代の言い換えとして用いられることがもっとも多い」そうです。竹取物語の成立は平安時代というのが通説ですし「会いに会う」とかお上品なことを言っていたのは十中八九セレブリティでしょう。というわけで平安時代の上層階級(貴族でも上の方)の男女はどういう恋愛をしていたか、俺の脳味噌から取り出した乏しい知識にぐーぐる先生に教えてもらったサイトの情報で肉付けして薀蓄を垂れてみましょうか。
この時代、女性は配偶者と肉親以外に顔を晒したらダメ、ゼッタイでしたから、男性はまず適齢期の女性がどの家にいるか、容姿はどうなのかなどなど情報収集をしなければなりません。しかし敵(って誰だよ)もさるもの、自分の家の使用人に欺瞞情報を流布させる強者の女性もいたそうで、ここで激烈な「情報戦」が繰り広げられます。男性は垣根の隙間などから偵察することも「あり」です。
苦労の末に首尾良く「あ〜のいえ〜にはす〜ばら〜しいむ〜すめ〜が〜い〜る〜ぞ〜♪」(ロシア民謡「コロブチカ」のメロディで歌ってください)という確度の高い情報をゲットしたら、男性は思いの丈を歌に詠んでラブレター=懸想文(けそうぶみ)をしたため、女性に送ります。姿もわからん女性に対して恋慕の情を抱き、それを歌に詠んで手紙を書くというのは現代人には想像が困難ですが、当時のセレブ男性は妄想力が秀でていたんでしょう。もちろん、一通送っただけで色よい返事が返ってくるわけはなく(一通送って即OKというのは、はしたない振る舞いです)最良の場合でもしばらくの間は(最悪の場合未来永劫)手紙を出しても返事が帰ってきません。首尾良く男性の熱意と甲斐性その他が女性の目に止まれば、まずは自分のお付きの女性(女房)に書かせた手紙でお返事が返ってきます。せっせと文(「ぶん」じゃなくて「ふみ」。手紙のことです)をやりとりして首尾良く予選を勝ち抜くと、その証として女性が直筆の返事をくれて、次の段階に進むことができます。
次はおうちでデートというか、早い話が「夜這い」の段階です。男性は占いで吉日を選び、人に知られぬように夜闇に乗じて密かに意中の女性が住む屋敷を訪れ、事前に籠絡しておいた使用人に手引きさせるなどして女性の部屋に潜入します。ただし、ここでも最初は女性は顔を見せず、すだれ=御簾(みす)や屏風ごしに言葉を交わすだけです。御簾の場合は内側(女性側)を暗く、外側(男性側)を明るくしておくことで、女性は男性を一方的に観察することができて便利です。マジックミラーで選べるシステムの起源はここにあったのですね(違います)。この段階で女性は男性の容姿と人間性を品定めします。ここで女性の合格がもらえればいよいよ御簾・屏風の裏で直にご対面ですが、なにせ暗い上に女性は扇や単衣の袖で顔を隠しているので、まだ女性の容貌は男性には朧気にしか分かりません。さらに会話を重ね、お互いにいよいよ情も濃やかになってきたら顔出しNG状態をキープしたまま行為に及びます。事が済んだら男性は速やかに撤収するのですが、トンズラする前にお別れの歌の一つも詠むのがマナーとされていて、女性はそれに対してしかるべく返歌を詠んで夜這い終了となります。首尾良く夜這いから帰宅したら、男性は歌を詠んで女性に送り、女性も返事を歌に詠みます。
こうした夜這いを何度か繰り返したりした後、いざ結婚という段になって初めて灯の下でしっかり妻の素顔が見れるわけです。……長くなってしまいました。
以上の薀蓄を踏まえて「主張」に戻りましょう。生身の顔を見せ合うことなく、“仮面”をかぶったままでも「会う」ことが可能となった。初めて生身で会ったときには既に、相手を観察する用心深さも消えているから、まるで顔見知りであるかのような気安さを覚えたとしても、特に不思議な話ではなかろう。さてココで問題です!この文は現代と王朝時代、どちらについての記述でしょうか?
「昔は男女が会うってコトは大変なことだったんだ!それを何だ最近の若いもんは、顔もわからん人間とメールをやりとりしただけでくっつきやがって!!」と息み返っているところ恐縮ですが、手紙をやりとりしただけの顔も分からん人間とデートしたのは「王朝時代」も同じでした(ケータイは写メ送れてその気になれば顔も分かるから平安時代よりなんぼか進歩しているくらいです)というお粗末。呆れてしまいますね。しかも、結論はいつもの被害者バッシング根性がむき出しです。
情報技術(IT)は健全に使われてこその利器であることを考えれば、私たち現代人にいま最も求められているのは真の情報リテラシー(活用能力)であることが分かる。それともう一点強調しておきたいのは、出会い系サイトに絡んだ犯罪では、当事者の善悪はともかくとして、体格・体力で不利になりがちな女性が被害者となるケースが圧倒的に多いという事実である。女性にはとくに自衛の心構えをもってもらいたい。
出会い系のユーザの情報リテラシーを論ずる前に、ご自分の情報リテラシーをどうにかしたほうがいいんじゃないでしょうかと思いますが。当事者の善悪はともかくとしてと言い訳しつつ自衛の心構えをもってと女性に要請しているということは、デートレイプやDV、元彼のストーカーにつきまとわれる被害に遭うのは「自衛の心構え」を持っていないか、持っていても不十分だったんだ!という恒例のセカンドレイプのための下準備というわけですかね。これで何か出会い系絡みで事件が起きて女性が害を被ったら『小紙はかつて「主張」欄で、出会い系を利用する女性に自衛の心構えを説いてきた』……いかにも書きそうですよね、産経新聞なら。
男女が「会う」のは「会いに会う(いちずの思いで会う)」ことが要諦(ようてい)である。けっして興味本位のものではないことを、最後に再確認しておきたい。
王朝時代は一夫多妻制なんで、貴族の男はあっちこっち手を出しちゃあ正妻以外は簡単に捨ててたんですけど。筆者は物語絵巻の絵空事の恋愛に憧れて妄想を逞しくし、それを若者バッシングの種にしているとしか思えません。リアルとフィクションの区別が付かないって、始末悪いですねぇ。
いざ交際するまで顔が見えないことによる悲喜劇は『源氏物語』「末摘花」にも扱われていますし、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などにもいくつか説話(というか笑い話)があったと思います。
前日の「from Editor」といい、この「主張」といい、国語算数理科社会まんべんなくダメな産経の真骨頂という感じのコラムで、おかげで二日連続でエントリを書いてしまいました。