あいにくの悪天候で7月22日の日食は見れませんでした。私は観測旅行に行くどころか日食グラスも入手しなかったので「ネット中継で見るか」と思っていたのですが、これも悪天候でダメだったりして、次に日本で見られるという金環食でリベンジできればいいなと思ってます。そういえば「日食グラスの処分セール」ってどこかでやってませんかね?次回の直前にオタオタするのもあほらしいし、腐るもんじゃないし、安く買えるなら今買っておくのも悪くないんじゃないかと思うのですが。
さて、そんな日食はメディアにおいても盛んに取り上げられたわけですが、我らが産経新聞では「【主張】皆既日食 感動を英知につなげたい - MSN産経ニュース」なるコラムで期待を裏切らないトンデモっぷりを披露しています。
今回の皆既日食で考えさせられたことが、もうひとつある。「専用の日食グラスを使わないと失明の恐れがある」という警告の大合唱だ。煤(すす)をつけたガラスで眺めた今の大人の世代や途上国の子供たちが失明したのか。
教えるべきは、長く見続けないという常識であり、望遠鏡でのぞくといった絶対にしてはならないことだ。社会全体が過保護になってしまっては、人間に必要な判断力の成長をゆがめてしまう。
俺が飯時にチラッと見たテレビの情報番組では「過去の日食では煤を付けたガラスなどの器具で太陽を長く見続けた結果、網膜を損傷して永久に視力が低下するなどの障害を負った人もいます。最悪の場合失明に至る可能性もありますので、観察の際には日食グラスなど専用の用具を使いましょう!」という趣旨の注意喚起をしてましたけど。
だいたい、太陽を安全に観察できる「日食グラス」があるご時世に、煤を付けたガラス板で太陽をチラ見した頃の「常識」を振りかざす滑稽さに気づかないんでしょうかね、このコラムの筆者は。技術が進歩して「ガラスに煤」より安全に長時間日食観察ができるようになったら、そっちを推奨するに決まってるじゃないですか。しかも長く見続けないって曖昧にも程があります。具体的に何秒以上がダメとか痛くなったらすぐ中止(ホントにそんなことがあるのか知りませんが)とか、具体的な情報の提示が無いまま「長く見続けない」なんて言われてもどうすりゃいいんですか?太陽を眺めて、平気なら「常識的」、目にダメージを負ったら「非常識」ですか?頭が悪すぎます。
望遠鏡でのぞくといった絶対にしてはならないことってのもすごいですね。私は天体マニアではありませんから(でも子供の頃にビクセンの光学機器カタログは熟読してた)、太陽の観測に望遠鏡を使うのが「絶対にしてはならないこと」だったなんて初めて知りましたよ(←もちろん嫌味)。遮光フィルター・絞り板などを装着して太陽観察用にしっかり準備した望遠鏡で太陽を見ることに問題が無いことくらい(長時間の観察はダメとのコトですが、具体的に何分見続けるとダメかはわからんかったorz)、曲がりなりにも報道業界の中の人なんですからコラムを書く前に調べるのが当たり前だと思うんですけど。掲載前にこういう与太にツッコミを入れる役割を負う校閲部も……って、産経校閲部に文句を言っても無駄か。
社会全体が過保護になってしまっては、人間に必要な判断力の成長をゆがめてしまう。 ……散々トンデモなことを書き散らした挙げ句どこぞの国家社会主義労働者党みたいなことを宣いますが、日食グラスを使わなくても人間に必要な判断力その他が成長してない誰かさんの存在が、この主張のアホらしさを如実に表しています。
> 「俺達が子供の頃は厳しく躾けられたもんだ。なのに最近のガキは甘やかされちまってるからすぐに権利だの何だのほざくんだYO!」
単に技術が未発達なために(本人は自覚していないが)危険な目に遭っていたという経験を引き合いに出して、技術が発達して危険な目に遭わずにすむようになったことを「判断力の成長をゆがめる」と糾弾してるしょうもないコラムなんで、しつけとはちょっと違うと思います。
「だから今の日本はダメなんだ」と締めくくるためには日食さえも利用する産経の意地汚さには頭が下がります。
> 産経の意地汚さ
自分が気にくわない事物を批判するためなら何でも利用しますけど、時々自爆してますね。
某掲示板ではこのような無理目な理屈をこねる能力を「産経力」と呼ぶんだとか。言い得て妙です。